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執筆者の写真三木

終戦記念日と火垂るの墓

更新日:8月16日


8月15日は終戦記念日でしたが、火垂るの墓のポスターを明るくしたら隠れているB-29が現れる。飛んでいる蛍は、実は火垂る焼夷弾を表現する描写でもある。

という投稿をみかけて、だから蛍の墓じゃなくて火垂るの墓だったんだ…と衝撃を受けています。

本当は右だったけど、当時の印刷技術が低く、左になったという説もあるようです。


奇跡的に原爆の生存者となった祖母も、家も親も何もかも失って地獄の広島を見た人で、アニメで描かれていたように守りたい弟が居て、戦争に出ている夫の実家に当たる親戚の家を頼ったけど邪険にされて、仕方なく荒れ果てた広島に戻ってきたそう。


不幸中の幸いだったのが、原爆で焼死した母親が生前、火災保険をMAXかけていたらしく、可哀想に思った保険屋さんがお金を貸してくれたのだそう。


そのお金は後に返したそうですが、お陰でほったて小屋を作って雨風を凌いだり、食料を手に入れて食い繋ぐことが出来たそうです。母は死して尚、子を守り、2人も耐え難きを耐え、生きて子孫に命を繋いでくれました。本当に凄いことですね。


もう2度と戦争はしない。耐え難きを耐え、皆で乗り越える。「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから。」そう石に刻んで誓った先人たちの想いを受け継ぎ、次世代に伝えていくのが、子孫である私たちの役目だと思います。


この手は、この命は、誰かを癒し、命を支え、次世代に繋ぐために使います。癒しを提供し、特に女性を支援する志があるのはその為です。


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