ドライヘッドスパ専門店HAZERAN ハゼラン神戸店、代表の三木です。
前回のブログ記事では今後の展望についてお話ししましたが、その中で私が世界平和を祈念しているためグローバル展開を視野に入れているとお話ししました。
世界平和なんて大袈裟な。と思われることもあるでしょうし、人に笑われるくらいの夢であることも分かっています。
でも、私が被爆三世であることを知っていただければ少しは納得していただけるのではないかと思います。
8月6日はHAZERANが唯一、定休日とさせていただいている日です。
広島の平和記念式典に参列予定だったのですが、実はコロナ感染してしまい、自宅療養しています。。ご予約をいただいていた皆さまには連絡済みですが、医師の指示により今週いっぱい休業させていただくことになりました。ご迷惑をおかけいたしますが、皆さまをお守りする為、ご了承くださいm(_ _)m
核兵器の恐ろしさは知らない人の方が多数ですが、日本人であれば漫画「はだしのゲン」を読んだことがあるかもしれません。また、広島の原爆資料館に行き、史実を知ることでも、その恐ろしさを知ることができます。史実があることじたい、とてつもなく恐ろしいことなのですが、後世に伝えていかねばならないので私の祖母の話をしましょう。
祖母は広島の原爆投下時、生存率が最も少なかったと言われる1km圏内の町に暮らしていました。
当時、健康な男性は皆戦争に出ていたので、女子供は皆、早くから働きに出ていました。祖母も出社していたことで自宅を離れていたため、一命を取り留めることになりました。爆風の猛烈な熱波を感じ、とっさに側にあった水槽の水を全身に被ったと聞いています。
急いで自宅に戻りましたが、赤子たちと年老いた祖々母がいた自宅が燃えています。焼け落ちていく家の中から、「ここに居たらあんたも焼け死んでしまう!ここから離れんさい!生きて弟を探しんさい!」
と死に際の母が振り絞った叫び声が聞こえ、涙ながらに自宅を離れ、その後、当時中学生だった弟と約束していた緊急時の待ち合わせ場所で無事、合流することができたそうです。
姉である祖母が唯一の親族となったため、幼い弟を守る為に祖母は生き、その後戦争から奇跡的に生還した祖父と再開を果たして再び子供たちを出産し、後世に命を繋いでくれました。
祖母のお陰で私が居て、HAZERANがあります。
どんなに辛いことがあっても、地獄と化した広島を生きた祖母より辛くはないと感じます。
残念ながら私には子供が居ませんが、後世に伝えて行くべきことだとも感じています。
そのため、8月6日をHAZERANの定休日としています。そして、この平和を祈念する気持ちを世界中に伝えていきたいと思っています。
私にとっては「平和記念」より「平和祈念」の方がしっくりくるので、これからも平和祈念という言葉を使っていくと思います。
普通に暮らせることが何よりの幸せです。最後までお読みいただき、ありがとうございます。
追伸
記憶違いがあったので、一部訂正しました。
正しくは甥っ子ではなく、弟でした。
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